昭和時代の番組

昭和の頃のTV番組は、かなり無茶をしていたと思う。

規制が今より厳しくなく、色々とトライできる部分もあったのだろう。

平成でも初期の頃はそうした傾向が見られた。

少年ケニア等は、かなり面白い。

東映チャンネルにて第1話が何度か放送されているが、第2話以降が放送されたことはない。この第1話のオープニングは、話数不明の別の回のものが使用され、本来のものとは異なる。本来の第1話のオープニングは、東映ビデオから発売されたビデオ・LD・DVD『東映TV特撮主題歌大全集1』に収録されている。1990年頃にはTBS『テレビ探偵団』にて最終回の映像が放送されたことがある。

探偵物語の弾けっぷり

作品の企画に伴い、プロデューサー山口剛の早稲田大学在学時代からの友人でハードボイルド評論家・翻訳家である小鷹信光を招いてハードボイルド講習会を主催したりと企画段階では小鷹自身のハードボイルド論に基づいて本格的な主人公の設定が提案されている。しかし、実際の映像ではアドリブが頻発するなど、本気と冗談が入り混じった独特の世界観が築かれた。

口数が多くコミカルな演技と、吹き替えなしのアクションシーンのギャップ等、松田の演じた本作品の主人公は、それまでのシリアスでニヒルなハードボイルドのヒーロー像を一変した。

松田が担当した予告編ナレーションも回を重ねるごとにエスカレートし、後半はあらすじがまともに紹介されず、舞台裏の事情、愚痴、共演者の悪口、松田自身の近況報告に終始するなど、放映当時としては画期的な楽屋ネタの連発となった。

ちなみに楽屋ネタは予告編だけでなく、ドラマ本編においても頻発した。山西氏の動揺など、リアルで本当に面白い。

ペイパービュー

現在、アメリカ合衆国ではペイ・パー・ビューがボクシング、UFC、プロレス、映画、コンサート等の放送で利用されており、1番組ごとに3.99ドル~59.99ドルのペイ・パー・ビュー視聴料金を支払ってテレビやパソコンで番組を視聴する。近年はUFCとWWEとボクシングの3つでペイ・パー・ビューの全体総売上げの大半を占めている。

アメリカで最初にペイ・パー・ビューが誕生したのは1951年に電話線を使用したシステムであったが、テスト放送を行っただけで本放送の許可を得ることは出来なかった。

現在でも利用されている ケーブルを使用したシステムは1972年に誕生した、1990年に入ると衛星放送を使用したシステムもペイ・パー・ビューで利用出来るようになった。

時間ですよ

第4作目の『時間ですよ昭和元年』は、荒井注のドリフ脱退後初の単独出演作であることや、放映期間中に関西地区でネット局が変更になった(朝日放送→毎日放送)ことでも話題となった(毎日放送でのネットはラスト2話のみ)。

1987年には、お笑いコンビのとんねるず(石橋貴明・木梨憲武)をキャスティングに加えた『時間ですよふたたび』が制作され、とんねるずは1988年に放送された『時間ですよたびたび』にも出演している。また、1989年に制作された『時間ですよ平成元年』には、結成されたばかりのSMAP・中居正広や香取慎吾も出演した。

エドワード・エルガー

エルガーは1857年6月2日、ウスター近郊のブロードヒースで生まれた。父親は楽器商を営むとともに、聖ジョージ・カトリック教会のオルガニストも務めていた。経済的な問題から専門的な音楽教育を受けることができず、独学によって作曲法を修得した。ヴァイオリン教師として収入を得るかたわら、たびたびロンドンへ出かけてはさまざまな音楽を聴き、特にシューマン、ワーグナーに強い影響を受けたといわれる。

1889年にピアノの教え子だったキャロライン・アリス・ロバーツと結婚。婚約に際しアリスのために作曲した「愛の挨拶」はのちに広く知られるようになる。その頃は作曲家としては地元の合唱音楽祭のために作品を委嘱される程度だったが、夫人の多大な協力もあり徐々に作曲家として認められるようになる。1899年、ハンス・リヒターの指揮による「独創主題による変奏曲」(「エニグマ(謎)」変奏曲)の初演の大成功によってエルガーは英国中にその名を知られるようになった。さらに翌1900年のオラトリオ「ゲロンティアスの夢」はドイツ初演で大成功を遂げ、作曲家リヒャルト・シュトラウスから賞賛されるなど、エルガーの名声はヨーロッパ中に広まった。